連 友也
一般社団法人倫理研究所 法人レクチャラー
ムラジ建設株式会社 代表取締役
プロフィル
S 59.3月 立命館大学経済学部卒業 半年後ムラジ建設㈱に入社
H 1. 8月 石川県準倫理法人会設立時に入会 28歳
H 6. 2月 ムラジ建設株式会社に就任 32歳
H 21.8月 金沢市倫理法人会 会長就任 48歳
H 25.9月 石川県倫理法人会 幹事長就任 52歳
H 27.9月 石川県後継者倫理塾 塾長就任 54歳
レポート
昭和33年に父がムラジ建設を創業。
3人姉弟の末っ子で生まれ、小さい頃から何の苦労もせずに育った。
平成6年に事業を継承し社長就任後しばらくは順調に推移したが、
平成11,12年にゴルフや夜の繁華街に通うようになり、倫理法人会のモーニングセミナーに全然出席できなくなる。
平成14年頃バブル崩壊後、右腕・左腕が相次ぎ退職し、業績が徐々に悪化していった。様々な新規事業に取り組むも暫くすると、マイナス面しか見えなくなり、冷めてしまう。
平成18年頃、とても自分の力では業績を回復できない頃、あるコンサルタントの方に「あなたのお父さんの創業の精神に則った経営をされたらどうですか?そうすると流行に左右されない経営ができると思いますよ」とアドバイスを頂いた。
心に響いた。そこで、自分の父の創業精神を知る上で父の生きてきたその背景。
連(むらじ)家、母方の家系の流れ、父の生きてきた奥にあるものを見つけてみないかという事で家系調査に取り組みました。
(その時に作った家系図を紹介)
直接父に創業精神を聴きました。
父曰く「その頃は貧乏で、家族を養うためにやっただけで、ただただ一生懸命に働いとっただけ。」その後、父の人生を調べてみた。創業しても、お客さんも無く、お金も無い。当時、住む家も無く、親戚の家を転々としていた。やっていたことは、朝早くに朝食までの間に、砂利を運搬しギリギリ食べていけていた。
そうしたことを数年続けていて、やがて近所の人や親戚の人から少しずつ仕事を回してもらえるようになった。その後、順調に仕事が増え、自分が物心つく頃はベンツを乗っていたり、大きな家を建てたりしていた。
父は、いろんな事業にも手を出していた。大きな赤字をだしたりもしていたが、リスクを恐れない、果敢にチャレンジしていた。当時の父はまわりの人が近寄り難い雰囲気を持っていた。(当時の部下の方と今でも付き合いがある)
父のがむしゃらさを知り、今の自分に欠けている所、
①朝早く出社する。(定時の2時間前)まずは、労働の質より量に取り組む。
②いろんな事に取り組む。石橋を叩いて渡る性格だが、できるだけチャレンジ精神で取り組もうと思っている。さらに、事業を継承した時に「会社を守らないといけない」と思っていたが、中々思うようにいかなかった。
そんな中、ふと思ったのが「社員さんを幸せにしようとしていたか」ということ。父は部下に愛情を持って接していたと感じる。家系調査(親・親戚にインタビュー)、家系図作成で学んだ事も、自分に一番欠けていたことは、「人への愛情なんだ」。『前任者の願い・思いを知っていくことが、事業継承で一番大切なことなんだ』と感じています。
石川県後継者倫理塾に自分が事業継承をしていた関係で、第1期から関わりを持っていました。今、8期ですが 第7期から塾長として関わっています。
後継者倫理塾の1年で、事業継承を学ぶことはできません。10年ぐらいかかります。「事業継承のスタートラインに立つ」
石川県倫理塾の目指すべきポイント。
①倫理経営の基本を身に着ける。「万人幸福の栞」を学ぶ。
②小さなことに磨きをかける。(→意識的に心を込める。)
良い習慣を身に着けていく。「7アクト」、「100日実践」。
朝起きの実践。1年間の基礎づくり。
③継承の決意をする。(→家計調査・.家系図づくり。)
塾卒業して、次の年スタッフで入ってもらい塾生以上に学んでもらう。
指導する立場になった方が気づきが多い。
※倫理の中に、経営を入れないといけない。生活全体を変える中に経営がある。
~~その他いっぱい講話頂く~~
会長談
連(むらじ)講師のおっしゃった、「学んでも、実践せずに放って置くと、すぐに心の中に雑草が生える」という言葉、素晴らしい表現ですね。
毎日実践し、心に手入れを施していかなければ変な虫が繁殖し、害になるし変なコケも生えて不衛生になる。素直な心が無くなっていくんですよね。
有難うございました。
モーニングセミナー参加者:33社、34名でした。